2012年8月

夏スク

盆休み明けの真夏のど平日、極めてカルトなツアーにご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。

毎年毎年、一番こわいツアーであることは変わりません。
季節柄、立地柄、そしてお客さんの幅広い層、ノンストップという危険...。毎回ギリギリの状態になります。

それでも今年は少し落ち着いていたかもしれません(あれで?と思われても!笑)。
早朝から夜中まで常にフル回転させている脳がオーバーヒートすると、空回りをしはじめます。その感覚がマイクもちながら分かってきた。以前ならそのままライブが崩壊したところをなんとか持ちこたえる最低限のスタミナの手応え。
場数が鍛えるものというのはあるかも、と15年以上ライブをしてきてやっと最近思います。

極端なセットリストではありますが、ニッチを狙うとああなるわけで。

できれば、『西洋美術史』を18時間かけて原始時代から21世紀美術まで語りたい、という野望がございます。
大学でそんな正統派の科目名に美術プロパーでもない私が入りこむ余地はないのですが、たぶん通史やテキスト解説とは違う切り口で、音楽や建築や語学や産業や地理や思想や気候や宗教や...そうしたものと交通した状態で大胆に裁断して縫製できると思う。白くはないかもしれない、綺麗に整ってはいないかもしれない、でも色とりどりの「羽」根を会場に散らせれば...。

ま、乱気流なフライトで私自身の翼が少し消耗したので(わりと繊細で抜けやすい...)、しばし夏休みをいただきます。

皆様にまたお会いできるのを楽しみにしています。
そのときまで、常にいちばん最近のライブが一番いいライブでありつづけるような「現状維持」をしていきます。

ゲストライブ

猛暑のなかを昨日の「第9回芸術学の学習会」に来場してくださった皆様、ありがとうございました。
また、いつもこの会を支えてくださっている幹事の皆様に、心より御礼申し上げます。

「ありがとう」の気持ちが強くなればなるほど、それは言葉などではとても伝えきれないので、結局は「生き方」で返していくしかないのだと思っています。言葉を尽くすことを生業としているぶんだけ、言葉にならないことも身体感覚で実感します。この場合は、いいライブ(講義)をしていくことで、少しでも報いていければと思います。

何を「いいライブ」とするかは、お客さんによって違います。
何十人何百人に向かってマイクで話していても、ひとりひとりのお客さんがまるで自分だけに向けて語られているように聴いていただけるライブができれば一番いいのですが、現実にはそうはいきません。
ソツのないライブや誰からも文句のでない講義は実際可能です。できます(断言)。
ただ、リスクがあっても、賛否両論でも、一部の人に嫌われても、私は誰か特定の人を揺さぶるようなライブを、したい。
非人称匿名者や三人称複数でなく固有の一人称単数と対峙するような。
5段階評価で全員が3をつける講義と、半数が1をつけ半数が5をつける講義なら、平均値が3で同じだとしても、迷わず後者を取ります。
そうじゃないと面白くない。致命的に飽き症なので、つまらないことやラクラクできることやイヤイヤやることに耐えられません。流れがあらかじめ決まっていて読めていて何の障害もなくて、つまずくことも詰まることもない人生なんて文字通りつまらない。

当然失敗も多いし、転けるライブも多いです。本当に申し訳ないと思っています。
大学の教壇に立って15年、千を越えるライブのなかで過去にいくつも恥ずかしいライブをしてきました。

♪悔しい夜を眠れずに過ごしてきたよ...
(...笑。TMRさんの♪Twinkle Million Rendezvous。いつもファイナル終わったら聴く...。)

夕べも結局あまり眠れなかったのですが...笑、何かしら皆さんのなかにテイクアウトしていただけるものがもしあったら、本当にしあわせです。それで十分です。

CIMG3308.JPG 8月5日、I 氏撮影。客席切り取ってぼかしましたが大丈夫かな。

野うさぎの跳躍

飛べない野うさぎはどうなるのか。

『野ウサギの走り』を昔読んで以来、バリー・フラナガンの野うさぎを見かけるたび、いつもこんな風でいようと思う。
野うさぎは決してかわいくない。かつて異国で遭遇したが凶暴の一言に尽きる。跳躍力は蹴鞠ならぬ毛毬のよう、しかも走らせたら時速80km。愛らしさのイメージなど愉快なまでに瓦解した。誰が♪さびしすぎて死んでしまうって? どこが♪ひとりきりで震えてるって? 年中発情してて神出鬼没、上唇裂で左右の耳は別々に自在に動いて情報を集め、嘔吐も逆流もせず、自身の排出物を再利用できる。謎だらけの生命体...。

昨日、身体の一部が肉離れを起こした。ヴィヴィッドな激痛だ。嫌いな種の痛みではないが野生動物なら致命的だなあ、と病院で電気治療中に殺風景な天井を見上げて思う。


トラブルにアクシデント、ついていない突発時がここのところ重なってやってきて、不幸なのである。
だがしかし「現在どんなに不幸でも、過去がどんなに不幸であっても、気持ちまで不幸になる必要はない」というようなことをダライ・ラマは言われた。それに、至福の状態からよりも不幸な状態のほうから人は多くを学ぶし、深くを知る。経験上それは確かだ。

ならば、不幸がいちばん幸福に近いのかもしれない...。
なので、よしとする。人間は納得できる不幸には強いし、耐えられるものだ。


ライブは待ってくれないのでとにかくリハをせねば。こんな極貧のその日暮らしを思えば15年もしているのだ。
それでも、会社に帰属して賞与も給与も出て保険もあったOL時代と比べてどう考えても今が悪いとは思えない。
経済的には数日何も食べないほどの飢餓状況に毎月陥る。でもどうしてみても現在のほうが面白い、のである。

私のライブに金メダルなどの名誉はない、そのかわり無気力試合もないし、引き分け狙いもない。シンプルだ。
思考にも筋力があってトレーニングしないと衰えるし、書物だの知という滋養を絶えず与えてやらないと弱る。
自分の頭の悪さと不器用さを知り尽くしているからこそ必死だ。なにか必死になれることがあれば人生面白い。


専門はなんですか、と言われるといちばん困るのだが、私の領分(と自分で思っている)は跳躍力と自在な交通力であって、そのためには専門など邪魔なのである。出身大学での所属は哲学だったかもしれないが、正直まったく関係ない。
古今東西、思想絵画彫刻舞踊音楽言語建築デザイン...、要するに人と何かがクロスして「文」を描く、人文すべてが射程であり、その間を自在に繋いで貫いて編集すること。

そのために跳ねて飛んで走るための強靭なバネが必要なのだ。鮮やかに身を翻す野うさぎのタフさ。

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