講演後記

2/16@東京自由大学&2/23@高槻現代劇場

2013年になってもまた落ち着かない日々で、レポでもあげようと思いながらなかなかできず。

ほぼ無職に近いフリーターのニートでひきこもり(笑)、しかも無趣味なのになぜ忙しいのか、自分がいちばん不思議です。

退屈という言葉は私の人生に一秒もありません、それだけは自慢できるのかもしれないです。

2月は初旬は「採点の祭典」で大わらわ。登録学生さんが多いことは本当にありがたいのですが、そのぶん試験の答案の扱いや採点処理には神経を使います。
最近の大学生は文章を書けないとか、平気でコピペをしてくるとか、言いたい気ももちろんありますが、「最近の学生」なんて人はいないのです。学生はひとりひとりが生身で人格もある固有名。そのなかには、ネットからそのまま盗作してくる◯◯君もいれば、丁寧に私のライブを聴いてくれた上で見事にまとめてくれる◯◯君もいる。それだけです。ひとりひとりに別個に向き合うように出席票すべてに目を通し、答案用紙を読むこと。なかなか難しい作業ですが。

そのまま会報12号の作業に突入。どんなに急いでもかかる必要な時間と、必要な作業がようやく少しだけ掴めてきました。両面コピーをミスることもちょっとだけ減ったし、裁断も少しだけ早くなったし、折りも山谷逆にする前に考えるようになった。シートを千切りながら切手を貼るのも、封筒にスタンプを押すのも早くなりました(笑)。同じ形態で2年会報を出し続けてようやく、です。まだまだ、ものすごく雑な作りの会報ではありますが、11号より12号、12号より14号(え?13号? あれはなんか特別編成にする予定。12日のライブ終わってから東京で考えて下旬に作業します。)と少しずつマシにしていきたいです。

ライブもそう。テーマがなんであれ、最新のライブがいちばんよくなくては続ける意味がありません。

2/16の東京自由大学のライブは、鎌田東二先生に仕切っていただいて、私のもっとも恐怖する質疑応答の時間もとても楽しく過ごせました。ライブをして楽しいと単純に思えることは実はそうはないのですが、久しぶりの感覚で(もしかして福岡でのライブ以来かもしれない)初心の感じが身体感覚に戻りました。
刺青論は何度か話してきた内容ですが、今までで一番オーソドックスかつシンプルな"曲調"で伝えたいことを構成、準備期間は限られていたのですが、いま私にできるライブはあのレベルなのだと思います。
ご来場いただいたお客様、そしてお世話になったスタッフの方々に心より感謝いたします。ありがとうございました。


2/23の高槻現代劇場、芸術学の学習会のライブ。人形論はすでにあちこちでやっているのですが、思い切ってチェコアニメも文楽も使わず、デカルトなどの自動人形に医学史(解剖学と生理学)をリンクさせる新しい斬り方をしました。時間との戦いだったので恐怖満開だったのですが、常に何か新しいフレーズを取り込んでいかないと自分が飽きます。付け焼き刃でリハをするなかで医学の歴史と身体の見方、そして芸術といういままでにないバイパスが自分のなかにできました。今後、ライブに取り入れていければと思います。
こちらも、ご来場ありがとうございました。そして、幹事さんにはいつも本当にお世話になっておりますが、これからもお世話かけます!(断言。笑)。

高槻が終わったら数日オフを取ろうと思いつつ、論文指導やスクエアの次期をどうするかの決定や打ち合わせや、わが地下室の修理など、高速回転で本日に至っております。12日のスクエア54のライブリハに専念したいのですが、なかなか回らず。コワいですね(笑)。付け焼き刃ですよ、書斎に山のように文献積んで。でも少なくとも私の場合、時間かければいいものが出来るわけでもないので。今この限定された状況のなかでどこまでできるか、それを面白いと思うのです。(だからコスプレをやってきたのかもしれない。ものすごい制約があるからこそシンプルに集中できる。)
久しぶりの新曲...とはいえ、ヴェサリウスやハーヴェイ他に関しては高槻と被るのでそうでもないか...笑。


『付け焼き刃ですが、何か?』というタイトルの新書を出して売れた夢を見た...ツイートをしましたが、私の人生は「とりあえず」と「付け焼き刃」でできています。卑下でも逃げでもなく、持続する「とりあえず」はひとつの強度になるかもしれないと本気で考えてます。そして、付け焼き刃ですぐに切れなくなるからこそ、絶えず付け焼き直しつづける刃は秘蔵の宝刀よりわりといい仕事する、かもよ!(笑)。

10歳になりました!

芸術学の学習会が10回目をむかえました。(...とひそかにリンクを貼るテストもしてみる。いつの間にか立派なHPを作っていただいていて、感謝します。)

IMG_0696.jpg
ワーイ!
いちごがハート型...。なんたるピクチュアレスク、絵に描いたようなスイーツさです。なんだかんだで、ケーキって人を笑顔にさせるしあわせな食べ物。

SN3E0045[1].jpg
ドラキュライメージらしい。夜中棺の上で撮ったらあまりにもはまりすぎたので(笑)あえて、朝の爽やかな(?)戦場、いや書斎で...。

私というより、ずっと関わってくださった方、お世話いただいた方のバースディであり、ご来場いただいたすべての皆様への花です。本当にありがとうございました。


気づけば10回。
ニーチェは言いました、"一度きりでは強度不足なのだ。だから反復するのだ。"
これからもライブは「反復」しますが、私はニーチェの言う「超人」ではないので「永劫回帰」するのは初心だけにして、差異を孕んでライブを重ねていきたいと思います。

「ありがとう」を生き方以外で返す術をわたしは持っていません。
「ありがとうございます」なんてそんな♪消えそうな言葉じゃ...。
なので、またライブをつくります。


アウェイでのツアー

某大学での集中講義終了。お客さんには色々申し訳ないこともありつつ、とにかくありがとうございました。


単発なら結構場数を踏んでいるのだが、アウェイで三日間まるっとというのがはじめてだったツアー。
しかもいろいろ突発事態が重なって、帰国後ほとんどまともに睡眠も食事もとれていない状態。リハもいわずもがな、である。

学校柄なのか担当者柄なのか、なんともゆるい感じで、セトリも時間帯も時間配分もスタイルも服も自由っぽくて、結局どうしていいのかわからなくなる。自由といういちばんの不自由。好きなことを好きなように、というのが結構キツい。対象やモデルやフォーマットがあってそこにシンプルに集約していくタイプなんだと思う。
そもそも私の得意分野は美術批評とかコスプレ衣装制作とかせいぜい製本とかであって、決して自分で物を創作するとか服をデザインするとか本を書くとかいうことが生業ではない。

取るに足らない自分ごときで芸術家気取りの小さな夢を見るより、いわば完全他者の見果てぬ夢を職人的に形にすることに生き甲斐を感じる。ただ、その"他者"は自分で選ぶけど。すでに価値が定まって評価されてるものにあまり興味はない。時代や文化に埋もれている佳きものや誤解されている報われないものを、掘りあてて、見極めて、自由に泳がせて、あるべきところに繋ぎ、その美しい形を愛でること。

ともかく、◯◯について語ってくれ、と言われればそれである程度対応するし、それで"曲"を作ることもできるかもしれない。昔、「空間論」なる科目をやってくれ、と某専門学校の建築系学科で開講日3日前に言われたときは途方にくれたが(笑)。く、くうかんについてしゃべるんですか、と。く、くうかんでないものなんて、世の中にあるですか!?と。ま、演りました。唐突に言われた「靴について90分しゃべれ」は断った...そういや。今なら難しくないリクエストなんだけど。

自分に求められているものが分からない居心地の悪さを拭えずに三日間がじりじりと過ぎる。ひたすらメルベイユ(驚愕)なのか、それとも既存の知の再発見的なものか、何かに役立つようなノウハウなのか。
今語りたいもの語るべきものより、語れるものを優先しているにすぎないのではないか、という自責とか、もう少し詰めればよかったとかいう後悔や、お客さんに忍耐を強いたのではないかという不安や...。

もっとこう、感謝がまず立つライブでないとダメなのだ、申し訳なさでなく。

客席の得体が知れない恐怖は夏スクでも同じだし、スクエア54でも同じ。大学通学部や専門学校で未成年の学生だけ相手に話すよりはもちろん難易度高いけど、でもそれが本来だと思っている。見る目の肥えた恐い大人の客席が未熟な舞台を磨く。

ライブは恐いですね。ナマモノでマモノ。「最後まで一歩たりとも譲ってはいけない」もの。

ま、できれば打ち上げは最終日にゆっくりしたいものです(笑)。

夏スク

盆休み明けの真夏のど平日、極めてカルトなツアーにご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。

毎年毎年、一番こわいツアーであることは変わりません。
季節柄、立地柄、そしてお客さんの幅広い層、ノンストップという危険...。毎回ギリギリの状態になります。

それでも今年は少し落ち着いていたかもしれません(あれで?と思われても!笑)。
早朝から夜中まで常にフル回転させている脳がオーバーヒートすると、空回りをしはじめます。その感覚がマイクもちながら分かってきた。以前ならそのままライブが崩壊したところをなんとか持ちこたえる最低限のスタミナの手応え。
場数が鍛えるものというのはあるかも、と15年以上ライブをしてきてやっと最近思います。

極端なセットリストではありますが、ニッチを狙うとああなるわけで。

できれば、『西洋美術史』を18時間かけて原始時代から21世紀美術まで語りたい、という野望がございます。
大学でそんな正統派の科目名に美術プロパーでもない私が入りこむ余地はないのですが、たぶん通史やテキスト解説とは違う切り口で、音楽や建築や語学や産業や地理や思想や気候や宗教や...そうしたものと交通した状態で大胆に裁断して縫製できると思う。白くはないかもしれない、綺麗に整ってはいないかもしれない、でも色とりどりの「羽」根を会場に散らせれば...。

ま、乱気流なフライトで私自身の翼が少し消耗したので(わりと繊細で抜けやすい...)、しばし夏休みをいただきます。

皆様にまたお会いできるのを楽しみにしています。
そのときまで、常にいちばん最近のライブが一番いいライブでありつづけるような「現状維持」をしていきます。

ゲストライブ

猛暑のなかを昨日の「第9回芸術学の学習会」に来場してくださった皆様、ありがとうございました。
また、いつもこの会を支えてくださっている幹事の皆様に、心より御礼申し上げます。

「ありがとう」の気持ちが強くなればなるほど、それは言葉などではとても伝えきれないので、結局は「生き方」で返していくしかないのだと思っています。言葉を尽くすことを生業としているぶんだけ、言葉にならないことも身体感覚で実感します。この場合は、いいライブ(講義)をしていくことで、少しでも報いていければと思います。

何を「いいライブ」とするかは、お客さんによって違います。
何十人何百人に向かってマイクで話していても、ひとりひとりのお客さんがまるで自分だけに向けて語られているように聴いていただけるライブができれば一番いいのですが、現実にはそうはいきません。
ソツのないライブや誰からも文句のでない講義は実際可能です。できます(断言)。
ただ、リスクがあっても、賛否両論でも、一部の人に嫌われても、私は誰か特定の人を揺さぶるようなライブを、したい。
非人称匿名者や三人称複数でなく固有の一人称単数と対峙するような。
5段階評価で全員が3をつける講義と、半数が1をつけ半数が5をつける講義なら、平均値が3で同じだとしても、迷わず後者を取ります。
そうじゃないと面白くない。致命的に飽き症なので、つまらないことやラクラクできることやイヤイヤやることに耐えられません。流れがあらかじめ決まっていて読めていて何の障害もなくて、つまずくことも詰まることもない人生なんて文字通りつまらない。

当然失敗も多いし、転けるライブも多いです。本当に申し訳ないと思っています。
大学の教壇に立って15年、千を越えるライブのなかで過去にいくつも恥ずかしいライブをしてきました。

♪悔しい夜を眠れずに過ごしてきたよ...
(...笑。TMRさんの♪Twinkle Million Rendezvous。いつもファイナル終わったら聴く...。)

夕べも結局あまり眠れなかったのですが...笑、何かしら皆さんのなかにテイクアウトしていただけるものがもしあったら、本当にしあわせです。それで十分です。

CIMG3308.JPG 8月5日、I 氏撮影。客席切り取ってぼかしましたが大丈夫かな。

  • 1