夏スク

盆休み明けの真夏のど平日、極めてカルトなツアーにご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。

毎年毎年、一番こわいツアーであることは変わりません。
季節柄、立地柄、そしてお客さんの幅広い層、ノンストップという危険...。毎回ギリギリの状態になります。

それでも今年は少し落ち着いていたかもしれません(あれで?と思われても!笑)。
早朝から夜中まで常にフル回転させている脳がオーバーヒートすると、空回りをしはじめます。その感覚がマイクもちながら分かってきた。以前ならそのままライブが崩壊したところをなんとか持ちこたえる最低限のスタミナの手応え。
場数が鍛えるものというのはあるかも、と15年以上ライブをしてきてやっと最近思います。

極端なセットリストではありますが、ニッチを狙うとああなるわけで。

できれば、『西洋美術史』を18時間かけて原始時代から21世紀美術まで語りたい、という野望がございます。
大学でそんな正統派の科目名に美術プロパーでもない私が入りこむ余地はないのですが、たぶん通史やテキスト解説とは違う切り口で、音楽や建築や語学や産業や地理や思想や気候や宗教や...そうしたものと交通した状態で大胆に裁断して縫製できると思う。白くはないかもしれない、綺麗に整ってはいないかもしれない、でも色とりどりの「羽」根を会場に散らせれば...。

ま、乱気流なフライトで私自身の翼が少し消耗したので(わりと繊細で抜けやすい...)、しばし夏休みをいただきます。

皆様にまたお会いできるのを楽しみにしています。
そのときまで、常にいちばん最近のライブが一番いいライブでありつづけるような「現状維持」をしていきます。

ゲストライブ

猛暑のなかを昨日の「第9回芸術学の学習会」に来場してくださった皆様、ありがとうございました。
また、いつもこの会を支えてくださっている幹事の皆様に、心より御礼申し上げます。

「ありがとう」の気持ちが強くなればなるほど、それは言葉などではとても伝えきれないので、結局は「生き方」で返していくしかないのだと思っています。言葉を尽くすことを生業としているぶんだけ、言葉にならないことも身体感覚で実感します。この場合は、いいライブ(講義)をしていくことで、少しでも報いていければと思います。

何を「いいライブ」とするかは、お客さんによって違います。
何十人何百人に向かってマイクで話していても、ひとりひとりのお客さんがまるで自分だけに向けて語られているように聴いていただけるライブができれば一番いいのですが、現実にはそうはいきません。
ソツのないライブや誰からも文句のでない講義は実際可能です。できます(断言)。
ただ、リスクがあっても、賛否両論でも、一部の人に嫌われても、私は誰か特定の人を揺さぶるようなライブを、したい。
非人称匿名者や三人称複数でなく固有の一人称単数と対峙するような。
5段階評価で全員が3をつける講義と、半数が1をつけ半数が5をつける講義なら、平均値が3で同じだとしても、迷わず後者を取ります。
そうじゃないと面白くない。致命的に飽き症なので、つまらないことやラクラクできることやイヤイヤやることに耐えられません。流れがあらかじめ決まっていて読めていて何の障害もなくて、つまずくことも詰まることもない人生なんて文字通りつまらない。

当然失敗も多いし、転けるライブも多いです。本当に申し訳ないと思っています。
大学の教壇に立って15年、千を越えるライブのなかで過去にいくつも恥ずかしいライブをしてきました。

♪悔しい夜を眠れずに過ごしてきたよ...
(...笑。TMRさんの♪Twinkle Million Rendezvous。いつもファイナル終わったら聴く...。)

夕べも結局あまり眠れなかったのですが...笑、何かしら皆さんのなかにテイクアウトしていただけるものがもしあったら、本当にしあわせです。それで十分です。

CIMG3308.JPG 8月5日、I 氏撮影。客席切り取ってぼかしましたが大丈夫かな。

野うさぎの跳躍

飛べない野うさぎはどうなるのか。

『野ウサギの走り』を昔読んで以来、バリー・フラナガンの野うさぎを見かけるたび、いつもこんな風でいようと思う。
野うさぎは決してかわいくない。かつて異国で遭遇したが凶暴の一言に尽きる。跳躍力は蹴鞠ならぬ毛毬のよう、しかも走らせたら時速80km。愛らしさのイメージなど愉快なまでに瓦解した。誰が♪さびしすぎて死んでしまうって? どこが♪ひとりきりで震えてるって? 年中発情してて神出鬼没、上唇裂で左右の耳は別々に自在に動いて情報を集め、嘔吐も逆流もせず、自身の排出物を再利用できる。謎だらけの生命体...。

昨日、身体の一部が肉離れを起こした。ヴィヴィッドな激痛だ。嫌いな種の痛みではないが野生動物なら致命的だなあ、と病院で電気治療中に殺風景な天井を見上げて思う。


トラブルにアクシデント、ついていない突発時がここのところ重なってやってきて、不幸なのである。
だがしかし「現在どんなに不幸でも、過去がどんなに不幸であっても、気持ちまで不幸になる必要はない」というようなことをダライ・ラマは言われた。それに、至福の状態からよりも不幸な状態のほうから人は多くを学ぶし、深くを知る。経験上それは確かだ。

ならば、不幸がいちばん幸福に近いのかもしれない...。
なので、よしとする。人間は納得できる不幸には強いし、耐えられるものだ。


ライブは待ってくれないのでとにかくリハをせねば。こんな極貧のその日暮らしを思えば15年もしているのだ。
それでも、会社に帰属して賞与も給与も出て保険もあったOL時代と比べてどう考えても今が悪いとは思えない。
経済的には数日何も食べないほどの飢餓状況に毎月陥る。でもどうしてみても現在のほうが面白い、のである。

私のライブに金メダルなどの名誉はない、そのかわり無気力試合もないし、引き分け狙いもない。シンプルだ。
思考にも筋力があってトレーニングしないと衰えるし、書物だの知という滋養を絶えず与えてやらないと弱る。
自分の頭の悪さと不器用さを知り尽くしているからこそ必死だ。なにか必死になれることがあれば人生面白い。


専門はなんですか、と言われるといちばん困るのだが、私の領分(と自分で思っている)は跳躍力と自在な交通力であって、そのためには専門など邪魔なのである。出身大学での所属は哲学だったかもしれないが、正直まったく関係ない。
古今東西、思想絵画彫刻舞踊音楽言語建築デザイン...、要するに人と何かがクロスして「文」を描く、人文すべてが射程であり、その間を自在に繋いで貫いて編集すること。

そのために跳ねて飛んで走るための強靭なバネが必要なのだ。鮮やかに身を翻す野うさぎのタフさ。

指サックさん

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指サックさんとお友達になる時期が来た。
出席票の仕分けである。とりあえず急を要するのが六千枚ほど。全回ぶんの講義の出席票を学生ひとりひとりずつでまとめ、ホチキス留めをする作業が採点前に必要になる。今年もホチキスの芯が一箱消えた(誰か余ってる方、ください。普通減らないと思うんですよ、ホチキスの芯なんて)。

別に試験だけすればいいのだし、膨大な手間をかけて作業する義務はどこにもないのだが、他者を評価して数値化する場合はそれなりの根拠が要るだろう。他の先生方と私の評価基準は大きく異なるとしても、私には私なりのボーダーがある。

白紙提出や明らかに話をまったく聞いていない(就寝中か内職か私語かに勤しんでいたと思われる)学生やとにかく腹立たしい事を書き逃げしている場合と、その日何らかの理由があって欠席したと思われる場合、どっちが評価高いかというと、案外後者である。ただ、それでも限度とバランスがあって、毎回本当にいいコメントを書いてくれても、出席回数が半数以下というのはそれはそれでだめだろう。

「腹立たしい事」というのは、「あつい!」など会場の温度への文句を3文字程度で殴り書きしたものや、まったくライブに関係ないことを脈絡もなく吐き捨てるもの(「〜くんだいすき!」とか「バイトクビになった〜」とかw  知るか。)などなどであって、講義に対する抗議や批判や意見や反論や異論などに対しては、きちんと拝読して対処しているつもりである。たとえそれがどんなに稚拙な表現で来られたとしても。


昔少しだけ筆跡鑑定を学んだ。
それでも判定は難しいのである。ひどい暴言だったり殴り書きと見える場合も一応考える。本当に字が汚いのかもしれないし、どうしてもまっすぐ書けない何かの疾患かもしれないし、漢字を書くとアレルギーが出る体質なのかもしれないし、本名を正しく書くと災いが降り掛かるというような事情を抱えているのかもしれない。明らかに出席票の上に突っ伏したと思われるファンデーション痕が見られたりもするが、色々可能性を考える。


ううむ。


レポートでも、出席票でも、試験答案でも、論文でもそうなのだが、要は、きちんと鏡像段階を経て自我が確立していて(つまり、他者と自己をきちんと認識した上で他者を尊重できるという、人間として当たり前のこと)、「自分が書いたコレを他者が読む」という想像力さえあれば、無体なことにはならないと思うのだ。
自ずから誤字脱字には気を配るだろうし、拙くとも伝わるような表現に収束していくだろう。
「私はこのレベルの文章を他者に対して提出するような人間です」と物語る、自己表現の場ですよ、その紙。


それ、ほんとうに、他者に渡してしまって、いいですか。


とはいえ、多くの学生のコメントシートに救われる事も事実だし、愛おしいと思う事、心のなかでエールを送る事、深く頭が下がる事、勉強になる事のほうが、腹立たしい事や悲しい事よりも天文学的に多くて。

♪何度何回繰り返しても戻って来ちゃう愛...(T.M.Revolutionさんのおうた)なのである。


final

CIMG3195.JPG
(撮影許可・Fさん撮影)
画像の出し方がいまいちあやふや...。


さて、このブログを使いあぐねているが、まあ実験的に愚痴でもいおう。


某大のライブツアー(半期の講義)の最終日。

学期末日にはコスプレ指定(何らかの制服でご来場ください、とか)をしてきたが、年々それも厳しくなる。
ドレスコードで色指定(黒いものを身につけてきてください、とか)や柄指定(ストライプかボーダーでどうぞみたいな)などの軽微なものに変えても、最近では客席はなかなかノってくれない。必死でお願いしても、揺さぶっても、である。結果、ニシカワタカノリの完全コスプレとかで平然と学期末のライブ(講義)をする私ひとりが浮き浮きのアホアホになって、汗だくになって、恥ずかしい思いをして、当局には睨まれて、平服の客席に携帯で写真だけ撮られて、ネット上に晒されて、ばらまかれて、笑われて...。私だけならいいが、ノリ良く素敵コスプレしてくれたマネージャーさんや常連学生さんがひそひそ言われたり盗撮(許可のない撮影は盗撮である)されたり、がこたえた。もうイヤだ、やめよう、リスクばかりでかくて、何もええことない!というのがここ数年の本音だった。

かつて芸術系大学のノリはよかった。揺さぶる必要もなかった。むしろ客席の熱意(最終日のコスチュームに対しての、ね。笑)に私が揺さぶられて真剣に悩むほどだった。下手なコスプレをすれば客席よりも私が沈んでしまう、コスプレイヤーの意地にかけて勝負だぜ(キッ!)ってなった。講義時間前に大学のトイレが更衣や仕込みをする学生で全部埋まっても「ああ、今日はともちゃんのファイナルなんですねー。がんばって!」と他のセンセイも助手も職員さんもにこやかだった。携帯電話のカメラ機能やデジカメや、ツイッターやSNSがまださして普及していない時代である。ライブは生身で、その場にいる肉体たちがみんなでつくって互いに楽しむもの。通信制学部のたった6日のスクーリングでさえも、最終日の客席は真剣に楽しんでつきあってくれた。もちろん、衣装がどうであれきちんと講義は行う。ファイナルの日の拍手と歓声に涙腺が刺激されるのをこらえたこともある。
最後にそれがあって盛り上がるためにも、学期中なんとなく講義を聴く士気があがる。ハレとケ。半年間一生懸命学んで、一生懸命伝えたあとではっちゃけるカーニバル。

それが昨今は講義最終日なんていうのは、試験について何か言うに違いないからという期待でいつもより学生が多い。ドレスコードなどもちろん無視。理由は「恥ずかしい」「忘れてた」「まわりの目が気になる」「服をもってない」...。まわりの目は異様に気にするのに、私の目は気にされてない疎外感。服など買う必要はない、その辺であるものでなんとか工夫できるレベルにしていても「無理難題」と言われる。「コスプレしなあかんらしい」...そんなことひとことも言ってない。おおっぴらにいつもと違う装いをしてよい口実がそこにあるのだから利用すれば楽しいよ、自分も知らない自分にこんにちわできるかもよ。
挙げ句の果て、当日堂々と異装してきた学生を横目に「こんなことならすればよかった」「すごくかわいかった」「みんな楽しそうだった」「もっと派手なかっこうでも余裕だった」とか言うのだ。そりゃそうだ、いじいじせずに乗っかったコだけがかわいくて楽しくて眩しいのである。
そして、見るより先に携帯を取り出す。携帯画面越しに見る風景は綺麗ですか? 記憶より記録とりますか?

そんなこんなで悩んだのだが、大勢だの風潮だのに屈してそれを楽しみにしているお客さんを踏みにじることは、敗北であり裏切りである。
ドレスコード「アニマル」...三週間も前に告知をする。なんかかんか作ったり、見つけたり、借りたりするには十分だろう。本来そこから自由に解釈工夫してくれればいいのだが、バリエーション例もいちおう提案する。「〜じゃだめですか」「〜はアニマルに入りますか」「〜はおかしいですか」と不安そうな質問が相次ぐのも最近の傾向。だめじゃないし、なんでもありだし、おかしくないってあれほど言うておろうが。なぜそんなに許可と認容をあらかじめ担保せねばならぬのだろう。

当日未明、自爪を豹柄に細工しながら私は不安でたまらなくなる。こんなことして、さらにこの年で猫耳まで作って、また客席は完全スルーなのか。

電車の中でも事務局でも講師控え室でも「見て見ぬふり」をひしひしと感じながら(まあ、豹柄で猫耳だもんな)、さっさと会場の教室に行ってみる。ぞろぞろと普段そのまんまの学生が会場に吸い込まれていく。やはりか。地味だな...うん。
もちろん中には猫耳フルメイドだのフル執事だの完全着ぐるみだのボディペイントだの河童だの馬だの白鳥だのバニーガールだの鬼だの尻尾付きだののツワモノもいる(愛してます!)。
そうこうしているうちに少しだけ変化がおこる。緩慢に着席した学生たちがそうしたツワモノを遠巻きに眺め、まわりをきょろきょろ見回しながら、おずおず何かしら取り出して装着しはじめる。多くは、ディズニーランドで売ってるような耳付きカチューシャだが、それでいい。

おお、ちょっとだけ和んだですよ。ファイナルに私が久しぶりに笑みを漏らしましたよ...。13センチピンヒールで人魚姫のように痛んでいた足も我慢できましたよ。

今回はわりかし本音で言います。


ありがとう。

おやすみ。棺(後ろの棺が私の寝具)に入りまする。
CIMG3269.JPG

テスト

画像を挿入できるかどうか...

ブログを書きあぐねる。

観た作品、読んだ本、食べた料理、着てる物、行った店...
それらを一般公開することの羞恥心でなかなかオープンなブログは書けない。
私という生身の個はもちろんそういった私の日常が培うものであり、それらが私をつくっているともいえる。
私の組成の成分をあまり知られたくない...(笑)。

村上春樹ほどプロではないので、原形が分からなくなるくらい自分をねじってこねくりまわして作品にできない。
でちゃう、のである。少しは。

西川貴教は好きだし、黒服は私の戦闘服だし、地下室の棺で眠っているのも、身体加工しているのも、書物に埋もれているのも事実だし、知られて困る事でもないけど、知られなくて困る事でもない。

ここを一応つくったものの、「日記」カテゴリも設定したものの、書くことがないのである。
書いても構わないことはたくさんある。でも、書くべきこと、書かねばならぬこと、書いた方が自分以外の他者にとって良いと思われること以外については黙っているほうが誠実だと思う。これだけ色んな情報があふれて誰もがさまざまにメディアと化す時代だからこそ、だ。

何かを書く(この前の「日本語の特色」のライブのときに少し話したが、それは、欠く、掛く、賭く、架く、掻く...ということである)ためには、その元手というか、支持体を絶えず生産し続ける必要がある。何かを話す(離す、放す)ためでも同じだ。掻き削ったり引っ掛けたり離したり放ったりするものは宿命的に傷つき消耗する(願わくはそれが、無傷の綺麗さをはるかに凌ぐ美しい傷でありますように、といつも考えて話して書いている。)。無尽蔵ではない。その「支持体」を黙って生産し続けることが必要だ。その時間が最近どんどん減ってきたような気がする。本を読んで考える時間、何かを観て咀嚼して消化する時間、勉強をして理解して把握する時間、対象の取りたい形を見極めて掬う時間...それらにどうしてもかかる必要不可欠な時間と労力というのは、どんなに時代が省エネ加速化してもどうにもならない。私はひどく不器用なのでそこの燃費が悪い。ただ、そうした支持体に裏打ちされていない言葉は薄っぺらい。それを仕事にしているなら、私はそれで他者だけでなく自分までも貶めることになる。

書くべきことはしかるべき場所(なんかそろそろまた原稿仕事が欲しいです。毎日新聞の連載コラムが毎週あった頃の緊張感がそろそろ懐かしいです。笑)で書くし、ちょっとさえずるだけならツイッターで十分だし、話すべきことはライブで話すか、直接その人に会った時に話す。
そもそも不特定多数に向けてネット上で発信する必要のあることが、私のような一般人にそんなにあるとは思えない。

ネットという無制限の空間でオフィシャルだのオープンにするために、あたりさわりのないことしかなぞれないなら、それも言葉の持つ力の蹂躙である。生身の範囲にしか私は責任もてない。
言葉は吐く人に依存する。あのひとがこれを言うなら素晴らしいけど、お前が言うな!っていうことは多々ある。差出人不明の言葉や宛先を持たない言葉が惨劇を生むこともある。
スクエア54の会報なんかは、自分で封筒の宛先を手書きしているし、手間はかかるけどとても気に入ってる媒体。数十冊しかないものを自分の手で作って届けること。

...ということで、気と腰が引けて、事務連絡以外にここを活用できておらず、気にはなっているのである。
更新されないサイトは墓場と同じだ。生きてない。作品であれ人であれ、生命力のないものを私は愛せない。
スクエア54のことをもっと知っていただくためにも、ぶんぶん発信すべきだとも思う。
けれどもやっぱりどうしても恥ずかしくて無理なのだ。
それに、多くに知ってもらう必要もない、とたぶんどこかで思っているところが敗因なんだろうと分かってもいる。

そんなこんなで、このブログの「キャラ設定」にもう少し時間かかります!(笑) ごめんなさい。

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スクエア54のメルマガ22号を昨日配信しました。

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スクエア54 タガワ


会報10号について

スクエア54会報10号は6月6日にポスト投函されます。

封入物は
会報10号本体
別冊付録(本体に挟み込み)
会員特典チケット割引券3枚
ミニノベルティ
の4点です。

会員さまで、万一週末を過ぎても会報が届かない場合、ならびに、封入物に不足がある場合、あるいは落丁他何らか不備がある場合、大変お手数ですがスクエア54までご連絡ください。

一通ずつ手作業で封入いたしております。万全を期してはおりますがなにもかも単独ゆえ、チェック体制にどうしても不安が残ります。

封入完了後に発生した案件ですが...会員さまのうちのどなたかおひとりに割引券が重なって2シート入っている可能性があります。その場合申告不要です、当たりだと思って素知らぬ顔していっぱいライブにいらしてくださいませ...汗。

あ、9日に大阪でのライブはやります、ぜひお越し下さいませ。

会報10号を作ります

お待たせいたしております。

実は、まだ本体作成の前段階。不安で仕方ない時期です。
封書宛名書きをして、同封する会員様むけのチケットオフ券を出力しているのですが、目がチカチカする紙です。
スクエアなものを探して選んできたんですけど(笑)。

この一週間で原稿書いて、版下作って、コピーして、裁断して、なんとか製本、発送までもっていきます。
いつも予告より一週間くらい遅れてしまうのが情けないです、なぜか会報発送時期に毎回突発事項が発生するのであります。
しばらくお待ちくださいませ。

たがわ。