メニュー 閉じる

「愛がなくてはならない」

2013年があけました。
晒される前に晒しとく、のが正解かもしれんと思うので、年賀状パターン1を晒してみる。今年はパターン3まである。(出典「文句言われる前に文句言っとく!」by 清春さんライブMC)
ねんが3.jpg
そろそろジブンダイスキ年賀状が顰蹙を買うことは分かっている。え、遅すぎると? 時間軸はひとそれぞれ。ボディに守られた乗用車の体感速度と生身むき出しのレーシングカートの体感速度の顕著な違いである。(私はレーシングカートのライセンス所持。)
両親からも「恥ずかしい、やめろ」と言われるが、私の年賀状から私が消えて干支の絵だの花だの空だのになったら、ある意味もうダメだコイツと思ってください(笑)。あと、宛名書きが印刷になった場合もとてつもない異変が起こったと思ってください。
もとい、ともあれ、2013があけました。
来月末まではギチギチに忙しいので私は正月気分を3月半ばに返上いたします。時間軸は人それぞれ、ハイ。
年末はバクチク@武道館にちょろっとお邪魔したが、感想は「オープニングの櫻井敦司の衣装、私似合いますよ。」に尽きるw。世界観も曲もビジュアルも確かに素敵なのだけれど、客席の私の疎外感は否めない。また『JUPITER』を聴ける、それはとても幸せなセットリストだけれど、でもあのときが凄かったからこそ上書きしたくない、というわがままもどこかにある。だいたい、櫻井はもう♪今夜も一人で眠…ったりしないだろう(笑)。
最近のニシカワタカノリのライブにも同様のことは感じるし、そして最近のコミケも同じ。たとえば今、シェイキンだのトゥインクル〜だのをニシカワに歌われても、それは違うのだ。それが単なるファンサービスや懐古を越えるのは、新曲をミリオンにするより難しいことなのだ。(清春さんは何度か、あの1997新宿ロフトを越える『Like A Angel』を小さなハコでその後演っている。ライブハウスでそういう瞬間に立ち会える幸せはもう奇跡に近い。ちなみに黒夢再結成@武道館のLike a~は私は評価しない。) だからこその「ライブ」なのである。そのときそこに立ち会うしかないのだ。
90年代ニシカワがライブ最後に歌ってた定番曲♪トゥインクル〜に「ああなるほど、これがT.M.Revolutionさんの”ジュピター”ですか」と言ったバクチクファンがかつていたが、そういうことである。
けっして劣化ではない、それは成長である。少なくとも私が今見ているバンドに関してはそう評価している。ニシカワもBTもそして、AKBも。
紅白出演の浜崎あゆみが劣化したというツイートがTLにあふれたので、後から録画を見た(便利な世の中だな、利用はするが愛せないわ)。彼女はよくやってると思う。少なくともテレビ見ながらクダ巻いて紅白に文句つけてる大衆に「劣化」だの「終わり」だの「下手」だの言われる筋合いはない程度には戦っている。でも、よくやってると思わせる時点でどこか敗北なんだと思う。そこが痛々しい。本来浜崎あゆみは痛々しさを纏って似合うコのはずだが、最近それをまったく着こなせてないのがセンスの劣化といえば劣化である。
ニシカワタカノリィの無言カウントダウンで年が明けた。今年もそんなんなのだろう。
ん?映像の状況からしてホワイトブレスを歌った後、カウントダウンしたんですよね? 
30日に東京から戻ってきたらテレビがつかなかった。地デジではないので切れたのかと思えば、そうでもなく。紅白を見るべく、書斎の本をかき分けて本体まで辿りついていじったりつついたりして、叩いたら映像は出たが、音声は出ない。今も復旧していないが、べつにテレビなくてもいいと思っているのが根本原因。
話は変わるのだが。
年末30日、雨の東京で『フランケンウィニー』を見た。成り行きである。
美術館が全部閉まっている東京なんて本当に退屈なのだ。本屋も文具屋もなぜか混雑しているし、致命的なことはお金がないのである。お金があれば私だってマッサージ行ったりおいしいもの食べたり買いものしたりする。東京は貧乏人にアミューズメントを提供してくれない場所である。
それでもけちらずに3Dバージョンを選択。こういうことに数百円を惜しむことの損失は計り知れない、と経験値が言う。映画館のホットドッグとコーラを諦めなさい、と(笑)。
…面白かった。ハマー映画『ドラキュラ』のクリストファー・リーが劇中劇にそのまま出て来たり、雌犬ペルセポネが『フランケンシュタインの花嫁』と同じ髪型だったり、日本人名のトシアキのペットが『ゴジラ』になったり、スラブ系の先生がヴィンセント・プライス!だったり、エドガーがもろに『ノートルダムのせむし男』だったり。スパーキーがフラン犬(!)になる描写はそのまま映画『フランケンシュタイン』だ。
最後までひっかかったのは、ニューオランダという地名と、あちこちにばらまかれるオランダのイメージ。でも謎は解けた。風車だ。あたりまえだ、フランケンシュタインなのだもの。
「科学にいいも悪いもない。だから使うひとに左右される。科学には頭が必要だがハートも必要だ」と先生は言い、そして学校を追われる。そう、「愛がなくてはならない」のだ。
最後のシーンは物議を醸すだろう。あのまま死ぬべきだったと思う。生き返ってはならないと思うのだ。それが正しいのだと確信する。しかし、それ以上に、なんでもいいからとにかく生きて欲しいと思う個人的な本音が先に立ってしまった。そして映画はそのとおりに…。
いいのか悪いのか。
ただ、わたしは、救われた。
「虚無の正論」でなく「ギリギリの本音」の方に人がかぶく時代に、芸術は成立しないのかもしれない。私はそれを危険だと思う。でも「愛がなくてはならない」とも思うのだ。
頭と心、生身と精神、どちらも殺さずに2013年もライブをします。

関連記事